Presented spell。

僕の気持ちを知っているからこそ、なのだろうか。
彼女は相変わらず気まぐれ。
・・・上手に紐解けば、気まぐれな行動にも理由がありそうだってことはわかる。
それがリアルタイムに理解できれば、感情の持って行き方も違うんだけどな。



ちょっと前、いつものように彼女を送って行った日。
旦那はジョギング中で、そろそろ戻ってくる時間らしい。
マンション前で頭を撫でていると、彼女はこれまたいつものように立ったまま眠ってしまった。
いつ旦那が帰ってくるのかとビクビクしながらも、僕は彼女を抱きしめ、髪の匂いを感じ、ふわふわの頬にキスをした。
ひとしきり彼女の温もりを楽しみ、僕の胸に顔をうずめたままの彼女を撫でていたとき・・・
マンションのぴかぴかに磨き上げられた外壁に、ジャージ姿がちらりと映った。
彼はこちらをジッと見つめながら走り抜けていった。

しまった・・・!

僕は急いで体を引き離し、さも「酔った彼女をようやくここまで連れてきましたよ」という風に、肩を掴んで「着いたよ、起きなさい」と呼びかけた。
と、すぐに隣に人影を感じた。
僕は気付かないフリで呼びかけ続ける。
男の右手が彼女の二の腕に荒っぽく触れ、「ほら何してんだよ、起きろ」という声が聞こえた。
もちろんその男は旦那。
僕はそこで初めて存在に気付いたように顔を向けて、「あぁ、来た来た、よかった」と言った。
彼は無表情のまま、「すみませんね」と言った。
僕は『仕方ないなぁ』みたいな顔で笑いながら、大丈夫ですよと返した。
彼女は寝ぼけ顔で「あれぇ?」なんて言いながら、僕に向かって手を振って「おやすみなさい」と言いながら旦那に引き摺られ、エントランスに消えていった。
まずいまずいまずい・・・そう呟きながら、僕はふらふらと部屋に帰った。
彼女と知り合ってから今までで最大のピンチだ。
どう考えても誤魔化せているハズがない。
実はその前にも一度、彼女を抱きしめている姿を目撃されている。
そのときは直接姿を見せず、部屋から彼女の携帯に電話が来ていた。
部屋に帰る途中見かけたよ、といったような内容だったらしい。
僕たちは正面エントランスにいたので、彼は裏口から部屋に入ったのだろう。
邪魔しちゃ悪いから部屋に戻った、と言っていたらしく、彼女は「えー、なんで?」なんて言って笑っていた。
彼がいったいどういうつもりなのか、僕には理解できない。
彼なりの対処の仕方なのだろうけど。


・・・結局、この日はこれで終わった。
特に問題が表面化したわけではないけれど、僕の存在が彼の中で注意すべき対象になっているのは間違いないだろう。



それから少し時を置いて、僕の誕生日の前日。
その日もチャンスを作って彼女を送って行った。
時間は23時半。
彼女が「誕生日までもうちょっとですね。あと30分待ってます」と言うので、マンションのエントランス前で二人で話しながら待った。
話に夢中で0時を過ぎてしまったけど、誕生日になった瞬間を一緒に過ごせた僕は幸せだった。
おやすみを行って別れたとき、とびっきりの笑顔をくれた。
あんなに優しい笑顔をくれたのは初めてだったかもしれない。
僕以外には滅多に見せない(・・・と信じている)笑顔。
とても幸せな誕生日だった。



誕生日の少し前だったと思う。
二人で話しをしているときのこと。

「あの一件が落ち着いて以来、私はずいぶん甘えちゃってると思うんですけど・・・」

ちょっとした会話の中で、さらりとそんな言葉を貰った。
彼女にしてみれば反省材料なのだろうし、褒め言葉でも感謝の言葉でもなかっただろう。
けど、僕にはとても嬉しい言葉だった。
そっか、彼女は僕に甘えてるつもりだったんだ。

そう思うとちょっとうきうきした。

あの一件。
つまり、あの一件のことだろう。

あれから信頼が失われ、それを取り戻すために、自分の気持ちに素直に向き合って、誠実に対応してきた。
どうやらようやく信頼が回復してきたようだ。

ちょっとずつ、ちょっとずつ。

つまらないミスをしないように、慎重に。

・・・それが良いのか悪いのかは、また別の問題。